毛沢東同志逝世三十周年

 寒い! 大風が吹き、今日は涼しいを通り越して寒かった。本屋にでも行こうかと半袖のシャツで外出してすぐにこれは失敗したと思った。とりあえず夕刊買って家に着替えに帰ったら何だかまた外出するのがバカらしくなり、結局本屋に行くのをやめてしまった。駄目だな〜>俺!
 今日は麗しの(?)毛さまっが別世界に逝かれてちょうど30年の記念すべき日である・・・が、何ら特別な記念式典などは行われなかったようである。ただ、毛沢東に似せた蝋人形・・・・・・かもしれない遺体が安置されている「毛沢東紀念堂」にかなりの観光客が押し寄せ、毛さまっの遺体を仰ぎ見る為に朝の6時から並んだとか。まあ、鳳凰電視台の記者によるインタビュー等を見る限りでは、三十周年記念に合わせて山東省や山西省、天津からわざわざ来たガチな毛さまっファンwもいたようだが、単に観光の一環としてたまたまやってきた観光客もかなりいたように思われる。とはいえ、通常の平日の4倍の人が来たことから(それでも7、8月のピーク時に比べると1/3らしいが)、毛さまっの人柄が偲ばれる・・・なんてね。
 マスコミが今回報道したのは、基本的にこの「毛沢東紀念堂」における参列者に関するもので、何らかの毛さまっの功績などに関する評論等はなかった。中京が奇声しているのだろう。
 中京にとっては毛さまっはある意味目の上のたんこぶだが、取り除くと自分もかなり痛むことになるので非常に扱いに困っているように思われる。毛さまっ否定は自己否定に直結するからね。今回何ら特別な記念式典、記念行事を執り行わず、また中京からは評論も何も発表せず、マスコミにも毛さまっの評価に関する報道をさせないことで、毛さまっの存在(実体なきゴースト!?)をある程度風化させようとしているのかもしれない。
 貧富の差が激しい現状を嘆き、物もお金もな〜んにもなかったが、少なくとも貧富の差もなく、泥棒もいない毛さまっの時代を懐かしむ「老百姓」*1(特に年配の方)も少なくない。無論、文カクでやられた人は毛さまっを怨んでいるが・・・。現在の中京の指導者にとっては、以前の指導者は比較対象であり、それが中国「介抱」の英雄として祭り上げられている人物であればますますたちが悪い。どこかの国ではないが、「毛派」なんて組織が出来上がり、いつの日か自分達に向かって牙をむき出しはしないかと不安であろう(考えすぎか?)。
 最近、テレビドラマは「普通語」の作品しか許可しなくなったのも、ある意味毛さまっ風化作戦の一環ではないか? 以前のドラマの中の毛さまっは湖南なまりが当たり前であったが、唐国強が演じた最近の抗日ドラマの毛さまっは「普通語」を話している。そのうち毛さまっを演じる俳優も毛さまっに似なくなってくるんだろうね。「特型演員」*2を使うなんてもってのほかってことになったりして。
 功罪の評価はとりあえず現状維持のまま(「三七開」)*3のようである毛さまっだが、今後の毛さまっの運命や如何に? 評価によっては我が家の毛さまっグッズの扱いも変わってくるからねw うそうそ。 


*1:庶民

*2:歴史上の人物のそっくりさんなどの特殊な俳優のこと。去年亡くなった古月氏は毛さまっ役の有名な特型演員。

*3:功績:過失=7:3